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甘木BBC

Author:甘木BBC
福岡県朝倉市にある、聖書を神のことばとしてお伝えしているキリスト教会です。
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クリスマスの「感動」とは?

羊飼いたちは、見聞きしたことが、全部御使いの話のとおりだったので、神をあがめ、賛美しながら帰って行った。    (ルカ伝2章20節)

クリスマスとは「キリストの祭という意味で、4世紀頃、ローマで始まったようです。もともとローマには太陽の祭というものがあったそうですが、急速に広まったキリスト信仰は人々に、太陽のような明るさと温もりとをもたらしたので、太陽の祭は、やがて教会において「キリストの祭(クリスマス)」と呼ばれるようになりました。ですから、教会の歴史の中で、イエス様の降誕を祝うことは、バプテスマや主の晩餐に比べると、比較的新しい習慣であると言えるでしょう。

とは言え、イエス様のお生まれに関する聖書の記述の重要性を知れば知るほど、教会が盛んにクリスマスを祝い続けてきたわけがわかります。神ご自身が救い主として来てくださる外に、やみの中でもがいていた私たち罪人を救う方法はなかったからです。

イザヤによって、「ひとりのみどりごが、私たちのために生まれる。」(9-2)という救い主誕生の預言がなされてから、人々はなんと750年もの長きに渡り、キリストを待望し続けたのです。既に老境に達していたシメオンは幼子イエス様を腕に抱き、「私の目があなたの御救いを見たからです。」ルカ2-30)と感動を表しました。彼の讃美の中に、私たちは全人類が歓喜すべき理由を見て取ることができます。この救い主こそ、やがて十字架の上で私たちの身代わりに罪の罰を受け、いのちを与えてくださったキリストその方だからです。

つい先ごろ、この日本の、しかも九州で銃の乱射による殺傷事件が起こりました。報道によると被害者の一人は犯人を友として親しくしていたとのことです。恨みからターゲットにされるのならわからなくもありません。しかし、親友だからという理由で殺傷の的にされたり、肉親同士の争いが憎しみを増大させたりするのであれば、私たちは何を信じ、どのように人と付き合ったらよいのでしょうか。人はどこで安心できるのでしょうか。

私たちはクリスマスの主人公イエス・キリストを信じることによって、ゆるぎない平安を持っています。そればかりでなく、天使が羊飼いたちに、「恐れることはありません。今、私はこの民全体のためのすばらしい喜びを知らせに来たのです。」(ルカ2-10)と告げたように、不安におののいている人々に、「ここに安心がありますよ!」と呼びかけることができます。

この祝福のクリスマス、あなたも声を合わせて、「いと高き所に、栄光が、神にあるように。地の上に、平和が、御心にかなう人々にあるように。」(ルカ2-14)と歌いましょう。「主はいつくしみ深くその恵みはとこしえまで」(詩篇100-5)だからです。



無題 | 19:59:13 | トラックバック(0) | コメント(0)