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甘木BBC

Author:甘木BBC
福岡県朝倉市にある、聖書を神のことばとしてお伝えしているキリスト教会です。
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人生の燈台守

(2001年11月週報メッセージより)
イエスはまた彼らに語って言われた。「わたしは、世の光です。わたしに従う者は、決してやみの中を歩むことがなく、いのちの光を持つのです。」 (ヨハネ伝8章12節)

花や野菜を植える時、まず考えるのはその土地の日当たりがよいかどうかではないでしょうか。せっかく花芽のついているパンジーを買ってきても、日陰に植えたのでは心なごむような開花は期待できません。
 逆に、弱々しいブロッコリーの苗でもさんさんと陽の射す一等地に植えてやれば、大きな葉を広げていきます。このように、光には生命を養う力があります。

 イエス様はご自身が「世の光」であると宣言されました。実に大胆な主張だと思いませんか。こう言えるお方は大嘘つきか、それとも神様です。そして、このお方が何者であるかは信頼してついて行く者だけが知ることができます。その一人漁師上がりのヨハネは「神のひとり子としての栄光を見た」と伝えています。
 そして、イエス様は暗闇に閉ざされていた私の魂をも明るく照らしてくださいました。イエス様のみことばによって、自分の姿を見ることができたのです。だから、イエス・キリストは道に迷うすべての人を導く燈台であるにちがいないと信じています。
 どんなに多くのこうした証言を聞いたとしても、あなた自身がイエス様に従ってみなければ事実を確認することはできません。そして、ただ信じて従う者だけが「この方にいのちがあった」と感嘆することができるのです。

 「明日があるさ」という歌が流行っているようですが、聖書は「今日」と語っています。私たちに明日があるかどうかはわかりません。大切にしなければならないのは、確実に生きている「今」ではないでしょうか。
 今日、あなたはイエス様に信頼していますか。今日、不従順の罪を悔い改めて、イエス様に従い始めませんか。



無題 | 14:21:16 | トラックバック(0) | コメント(0)
最高のクリスマスプレゼント


2005年12月25日(日)
甘木聖書バプテスト教会週報
この方にいのちがあった。このいのちは人の光であった。光はやみの中に輝いている。やみはこれに打ち勝たなかった。
(ヨハネ伝1章4、5節)
 
今年のクリスマスは、ひょっとして新会堂で祝えるのではとの期待をもって歩んできましたが、祈りの実現は来年へと持ち越されることとなりました。でも、少しもがっかりしません。私たちは神様の約束を信じているからです。
そして、家畜小屋でお生まれになり、飼い葉おけをベッドとされたイエス様のことを考えると、もう一年、古い会堂でクリスマスを喜び合えることを感謝したいとさえ思えてきます。

神の御子は大衆の喝采を浴びて御殿に生まれたのではありません。神を愛し、その約束を信じる若い夫婦のもとへ、静かにお生まれくださったのです。
最初にイエス様を礼拝したのは王様だったでしょうか。金持ちや有名人だったでしょうか。救い主を待ち望みつつ、正直に暮らしていた羊飼いたちでした。神に真実な心を向け続ける者に、いつの時代でも神様の目は注がれているのです。

クリスマスは商売の絶好のチャンスとされています。しかし、神様からの最高のプレゼントはお店では買えません。それは、ひとり子をさえお与えになるほどの、神様の私たちに対する驚くべき愛です。
イエス様の教会は世に向かってどれだけ、神様の愛を証してこれたでしょうか。人の心が冷え、孤立化していく時代に、「すべて、疲れた人、重荷を負っている人は、わたしのところに来なさい。わたしがあなたがたを休ませてあげます。」(マタイ11-28)というイエス様の招きを、どれだけの人たちが聴くことができたでしょうか。

先週のこどもクリスマスk会に集ったこどもたちがクリスマス劇に加わるのを見て、大きな喜びを感じました。いつもボール遊びに来る男の子たちが、ついに教会に入って、本当のクリスマスの話を聴いたのです。これは第一歩に過ぎませんが、尊い一歩となることでしょう。
このクリスマス、あなたの心にイエス様が住んでいてくださいますか。クリスマスは救い主イエス様を心にお迎えする喜びの日です。



無題 | 18:40:28 | トラックバック(0) | コメント(0)
帰るところを持つ幸い メリークリスマス!

☆☆☆「あなたのためのクリスマス」のご案内☆☆☆
12月18日(日) 午後2:30  こどもクリスマス会
12月24日(土) 午後7:00  クリスマスイブの集い
   25日(日) 午前10:30   クリスマス礼拝

「いと高き所に、栄光が、神にあるように。地の上に、平和が、御心にかなう人々にあるように。」                   (ルカ伝2章14節)

 今年の世相を表す一語として「帰」が選ばれました。多くの人々が「人さらい」ということばが現実に起こっていた事実に愕然としたでしょうし、帰る所を持つ者の幸いをも見たのでしょう。
 クリスマスは神のもとへと帰る日です。イエス様は私たちを迎えに来てくださった救い主です。私たちも罪に捕らえられていた者でしたが、イエス様がいのちをかけて救い出してくださいました。ですから、イエス様を次の人にお知らせしたいのです。

 救い主は二千年前、汚れた世に下ってくださいました。そして、今あなたの名を呼んでおられます。「この方にいのちがあった。」とヨハネはその救い主を紹介しました。闇の世にいのちの光が照りわたったのです。
 天使たちも喜びの知らせを告げました。あなたの心にもいのちの灯が輝いていますか。クリスマスはいのちをいただく日、爆発する喜びの日です。
 「あなたの心にイエス様なければ、クリスマスでも本当のクリスマスじゃない。」という歌があります。どんなにおいしいケーキを食べ、たくさんのプレゼントをもらっても、イエス様を閉め出していたら虚しいお祭騒ぎにすぎません。

 人は老いて行き、時は刻々と流れ去ります。魂の牧者であるイエス様に帰るのは今です。「あなたへのクリスマスプレゼント」はイエス様を信じていただく永遠のいのちです。この恵みを受けて初めて「クリスマスおめでとう!」と心から言えるのです。
 今年のクリスマス、あなたの心をイエス様の宿として提供しませんか。神の平和があなたの心に宿りますように!(2002年クリスマス週報より)



無題 | 10:57:21 | トラックバック(0) | コメント(0)
クリスマスの幸せはここに

ひとりのみどりごが、私たちのために生まれる。ひとりの男の子が、私たちに与えられる。主権はその肩にあり、その名は「不思議な助言者、力ある神、永遠の父、平和の君」と呼ばれる。
(イザヤ書9章6節)

先日、耐震強度偽装事件に関する証人喚問の様子が報道されました。その中で語られた元建築士の「弱い自分がいた。」という述懐は、多くの人たちが思い当たる一言だったのではないでしょうか。聖書は誘惑に対する私たちのもろさを、「人はそれぞれ自分の欲に引かれ、おびき寄せられて、誘惑されるのです。」(ヤコブ1-14)と表現しています。
 はじめは皆、良い住宅を安く、早く供給しようとの理想に燃えていたはずです。しかし、その過程で、それぞれが自分の利益をむさぼっていくうちに、大事な骨が際限なく削られていってしまったのでしょう。「欲がはらむと罪を生み、罪が熟すると死を生みます。」(1-15)とあるとおりです。
 誰もが「法を犯すことを求めはしなかった。」と言い逃れようとしますが、どこかで法を犯さなければ生き残れない人が出てくるような仕組みになっているのでしょうか。それもまた、責任を他に転化して、自己弁護しようとする狡猾さなのでしょうか。

 私たちは罪のなすり合いの泥沼から目を転じて、クリスマスの登場人物たちの爆発する喜びに注目しましょう。たとえば、イエス様の母として選ばれたマリヤは、「ほんとうに、私は主のはしためです。」(ルカ1-38)と謙遜に、自分の身分に満足しました。そして、神の豊かな祝福を心から感謝し、高らかに神への賛歌を歌ったのです。
 幸せは努力して捜すものでもあります。しかし、今与えられているものを感謝することでもあるのです。小さな幸せのように見えることを、大げさと思えるほどに喜んでみましょう。
 雪が降るほど冷え込んでも、温かい教会に集い合って、クリスマスのキャロルを歌える人は、マリヤが表現した「しあわせ者」ではないでしょうか。神様が特別に、あなたに目を留めていてくださる何よりの証拠です。
 イエス様が私たちの罪を負ってくださり、すべての罪が赦されていることこそ、最高のクリスマスプレゼントです。このクリスマス、神様に向かって魂の奥底から、「ありがとうございます!」を申し上げましょう。



無題 | 18:48:32 | トラックバック(0) | コメント(0)
ありがとう!神様のクリスマスプレゼント

そしてその家にはいって、母マリヤとともにおられる幼子を見、ひれ伏して拝んだ。そして、宝の箱をあけて、黄金、乳香、没薬を贈り物としてささげた。
(マタイ伝2章11節)

 先日、息子が通う保育園でクリスマスが行われました。それは世の例にもれず、プレゼントを届けるサンタクロースが中心のクリスマスだったようです。救い主イエス・キリストのお生まれを記念する日であることはすっかり忘れられているか、あるいは故意に避けられているのでしょう。まことに残念なことです。
 2000年前、東の国の三人の博士たちは救い主を礼拝するために長い旅をしました。彼らは仕事も家族も残して、イエス様を拝むために出かけたのです。彼らは犠牲を払うことをいといませんでした。イエス様こそ彼らが待ちわびていたキリストであることを知ったからです。
 次に、彼らはイエス様に捧げるプレゼントを大切に持参していました。神が実にそのひとり子さえお与えになったことを知った彼らは、最高の贈り物を用意して礼拝に向かったのです。

 博士たちが赤ちゃんイエス様に最高の捧げ物をしたとすれば、私たちの罪のために十字架にかかってくださったイエス様、死の呪いから私たちを解放するため復活された主に、何をもって感謝を表せるでしょうか。
 まず、私たちの心を提供することが第一です。イエス様を礼拝するために、他のことを犠牲にして、イエス様のものであることを明らかにしましょう。決然とした信仰は誘惑から私たちを守り、力強いクリスチャン生活を保障します。
 今、甘木の町中をキャロリングして帰って来たところです。「神には栄光、地に平和」と告げ知らせる務めは何と祝福に満ちていることでしょうか。多くの人たちがその姿を見、そのニュースを聞きたがっています。そして、これが教会だけができる聖なる仕事なのです。(2001年クリスマス週報より)



無題 | 10:20:52 | トラックバック(0) | コメント(0)
人生の構造設計

 ☆☆☆「あなたのためのクリスマス」のご案内☆☆☆
12月18日(日) 午後2:30  こどもクリスマス会
12月24日(土) 午後7:00  クリスマスイブの集い
   25日(日) 午前10:30   クリスマス礼拝

 主によって語られたことは必ず実現すると信じきった人は、何と幸いなことでしょう。                                (ルカ伝1章45節)

 今回の違法建築騒動で、「構造設計」という言葉がクローズアップされています。建物の骨組みの設計のことだそうです。建物が出来上がってしまえば、この部分は隠れてしまいます。
 しかし、この隠れてしまう部分にごまかしのあった建物は、どんなに華麗にデザインされていても人が住む家とはなりません。一刻も早く取り壊されなければならない巨大な危険物です。

 連日、この事件の報道を聞きながら、私たちの人生という建物の構造設計は、どうであろうかと思わされています。私たちは何を骨組みとして人生を建て上げているでしょうか。地震が頻発しているように、さまざまな誘惑が私たちを惑わし、思いがけない試練が私たちの行く手に立ちはだかります。
 そのような時に問題となるのが人生の構造設計です。しっかりとした神のみことばの鉄筋が必要なだけ入っているでしょうか。礼拝・祈り会の大黒柱が立っているでしょうか。祈りの基礎は十分な深さに達しているでしょうか。

 クリスマスの場面で、天使がマリヤに、「神にとって不可能なことは一つもありません。」(ルカ1-37)と語りかけました。私たちはこのみことばを、「わたし」への神の語りかけとして信じきるでしょうか。神への絶対的な信頼を足場としている人は、試練の中でも、確かなゆとりを持っています。
 こどもたちを巻き込む憎むべき犯罪も報道されています。そのような中で、教会は二つのこどもクリスマスを計画しています。サンタとケーキのクリスマスではなく、救い主イエス・キリスト様のお生まれを知らせるクリスマス会です。
 こどもたちの柔らかな心にも、クリスマスの喜びの知らせを届けましょう。聖書を通して神様は、「確かに、今は恵みの時、今は救いの日です。」(第二コリント6-2)と、教会の働きを励ましておられます。



無題 | 19:45:54 | トラックバック(0) | コメント(0)
喜びのおとずれ (2001年クリスマス週報より)

すると、たちまち、その御使いといっしょに、多くの天の軍勢が現われて、神を賛美して言った。「いと高き所に、栄光が、神にあるように。地の上に、平和が、御心にかなう人々にあるように。」          (ルカ伝2章13、14節)

 あるケーキ屋さんが一か月かけて特大のケーキを作り、クリスマスに東照宮に奉納し、技術の向上を祈願したというニュースを聞いて唖然としました。これはまた笑えない現実であり、クリスマスの起こりを正しく伝えていく責任を再確認させられもしました。

 2000年前、ユダヤの荒野で羊を飼っていた男たちに天使が現れて、「救い主、キリストがお生まれになった」ことを伝え、軍勢と共に神を褒め讃えて歌いました。それは神のひとり子がへりくだって家畜小屋でお生まれになった日であり、後にクリスマスとして記念されるようになった日の美しい出来事です。
 天使たちはこの驚くべき希望をお与えになった神に栄光を返しました。神が実にそのひとり子をお遣わしになるほどに、私たちの悲惨な状態をあわれんでくださったからです。
 次に、天使たちは地に住む人間の心に平和が宿るようにと歌いました。それはこの救い主、イエス・キリストを心に迎えていただく「神との平和」に始まります。今年を象徴する一語は「戦」だそうです。この実態は人間が不幸であり、神を悲しませていることを意味します。

 恵みにより神との平和をいただいた私たちクリスチャンは、あの天使たちに成り代わって、イエス・キリストによる救いを声を大にして告げ知らせる者たちではないでしょうか。これが神が私たちに与えてくださった聖なるお仕事です。
 私たちの教会のクリスマスキャロルもあの天使たちの歌声に勝とも劣らぬものでしょうか。それを聞いた羊飼いたちがベツレヘムのイエス様を拝みに向かったように、私たちの歌声も「救いの道」を指し示し続けましょう。



無題 | 14:22:32 | トラックバック(0) | コメント(0)
不安な時代にクリスマスの希望

 ☆☆☆「あなたのためのクリスマス」のご案内☆☆☆
12月18日(日) 午後2:30  こどもクリスマス会
12月24日(土) 午後7:00  クリスマスイブの集い
   25日(日) 午前10:30 クリスマス礼拝

やみの中を歩んでいた民は、大きな光を見た。死の陰の地に住んでいた者たちの上に光が照った。
                           イザヤ書9章2節
喜びのクリスマスの準備をしながら、聞こえてくるニュースに人間の心にすくう闇、罪を実感させられます。建築の専門家が地震で倒壊するかもしれないような巨大な建物を建て続けてきたというのです。実際に工事にたずさわった人たちも「おかしい」と思いつつも、愚かな施工を止めることはできなかったのでしょう。
 イエス様は砂の上に建てる愚かさを説きました。しかし、物も豊か、技術を誇る今日、人は砂の上に天を突くような楼閣を建て続けています。そして、迫っている危険を見据えようとはしません。
また、こうした事件を防ぐために新しい法律が作られるでしょう。しかし、更に狡猾に抜け道を編み出す人間の罪の性質はそのままです。イエス様は人の罪の問題について、「人は、新しく生まれなければ、神の国を見ることはできません。」(ヨハネ3-3)と語られました。

 クリスマスはきらびやかなイリュミネーションにではなく、神の驚くべき愛に目を見張る時です。救い主を迎えた心は、欲望の連鎖から解放されます。既に手にしている恵みの豊かさに気づき、マリヤと共に、「わがたましいは主をあがめ、わが霊は、わが救い主なる神を喜びたたえます。」(ルカ1-46,47)と歌います。

 連日伝えられる出来事は多くの人々を不安に駆り立てています。しかし、私たちは「こわがることはない。」(ルカ1-13他)という天使の呼びかけに注目すべきです。神の助けを仰ぐ信仰さえあれば、何をも恐れることはありません。
この不安な時代に、私たちは天使に代わって、クリスマスの救いと喜びを証させていただきましょう。主イエス様は罪の闇の中でもがく罪人たちを救うために、この世に来てくださったのです。



無題 | 16:53:41 | トラックバック(0) | コメント(0)
人を自由にするもの

そこでイエスは、その信じたユダヤ人たちに言われた。「もしあなたがたが、わたしのことばにとどまるなら、あなたがたはほんとうにわたしの弟子です。そして、あなたがたは真理を知り、真理はあなたがたを自由にします。」"
(ヨハネ伝8章31、32節)

 人間が追い求め続けてきた大切なものの一つが「自由」です。明治の自由民権運動の旗頭、板垣退助は「板垣死すとも、自由は死せじ」という有名な言葉を残したと言われています。今日の若者たちの茶髪現象も、彼らなりの自由の追求だと言うのでしょうか。
 2000年前、イエス様がご在世時代の人々も圧制からの解放、自由を切望していました。その人たちにイエス様は何が人を自由にするのかを語りました。そのみことばは永遠に変わることのない自由への道しるべです。
 まず、このみことばによると、自由とは自分が好きなように生きることではないことがわかります。それどころか、イエス・キリストに従い、その弟子として生きる人だけに限られたものであることがわかります。
 なぜなら、自由は真理に基づくものだからです。そして、イエス・キリストだけが神のもとから来られたお方であり、「わたしが真理です。」と宣言できる救い主です。

 聖書は人間は生まれながらに「罪の奴隷」だと言っています。また、「新しく生まれ」なければならないとも迫っています。そして、イエス・キリストを信じることによって人は新しく生まれ、その教えに従うことによって魂の自由を味わうことができると告げています。
 クリスマスに、あなたの主人公は誰ですか。また、何ですか。今年こそ、イエス・キリストをあなたの主人公として迎えませんか。この神に仕える者として、解放された自由の道を歩み出しませんか。



無題 | 10:00:44 | トラックバック(0) | コメント(0)