FC2ブログ
 
■カウンター

■プロフィール

甘木BBC

Author:甘木BBC
福岡県朝倉市にある、聖書を神のことばとしてお伝えしているキリスト教会です。
http://amagibbc.com/

■検索フォーム

■最新記事
■カレンダー

09 | 2005/10 | 11
- - - - - - 1
2 3 4 5 6 7 8
9 10 11 12 13 14 15
16 17 18 19 20 21 22
23 24 25 26 27 28 29
30 31 - - - - -

■月別アーカイブ

■カテゴリ
■RSSリンクの表示
■QRコード

QR

救いを生み出す悲しみとは

神のみこころに添った悲しみは、悔いのない、救いに至る悔い改めを生じさせますが、世の悲しみは死をもたらします。
(第二コリント7章10節)

人に注意することと、注意されたことを素直に聞くことと、どちらが容易いでしょうか。一見、注意する側は言いたいことを言って、楽なように見えますが、相手に対する思いやりがなければできません。注意された側は、相手に対する尊敬の思いがなければ、その注意に従うことはできないでしょう。

たとえば、聖書は、子どもたちよ。主にあって両親に従いなさい。これは正しいことだからです。(エペソ書6-1)と告げています。注意を与え、訓育するのは親の務めであり、聞き従うのはこどもの義務です。しかし、この秩序は、しばしばおろそかにされています。

野球の監督にもさまざまなタイプがあるようです。今年の覇者ロッテのバレンタイン監督は負けても、「明日がんばりましょう。」と言うだけだそうです。選手はその言葉で、気持ちの切り替えができたのでしょう。小言を百辺くりかえすより、その一言は良い結果をもたらしたわけです。

しかし、中には欠点や失敗に全く気づいていない場合があります。たとえば、「すべての人は、罪を犯したので、神からの栄誉を受けることができず、」(ローマ書3-23)と聖書は警告していますが、多くの人々は神に反逆していることに気づこうとしません。

「神のみこころに添った悲しみ」とは、糸の切れた凧のように、神様のもとから遠く離れている虚しさを知ることです。他の何者をもってしても代用できない、大切なものを失っている悲しみを実感することです。そして、信仰をもって、救い主イエス・キリストを仰ぐ人こそ救われるのです。

教会は今朝、創立18周年の記念礼拝をお捧げします。「神が私たちを通して懇願しておられる」(5-20)という表現で、パウロは神の切々とした愛と教会の務めを教えてくれています。
イエス様は命令されたのではなく、懇願してくださいました。私たちも主に習って、謙遜に失われた魂の救いを祈り続けましょう。



無題 | 18:08:30 | トラックバック(0) | コメント(0)
人生の秋に確かな希望

たとい私たちの外なる人は衰えても、内なる人は日々新たにされています。
(第二コリント4章16節)

 「寄る年波には勝てない」と言われ、春の青葉が秋の紅葉へと移り、冬に落葉していくように、肉体は徐々に老化の道をたどっていきます。医学の進歩やライフスタイルの変化は画期的に延命を可能にしましたが、それでも確実に人は死に向かって進んでいきます。

 では、人間にとって死は絶望でしかないのでしょうか。誰か死の向こうにある確かな希望について話してくれる人はいないのでしょうか。

 使徒パウロはキリスト信仰によって輝かしい希望に生きるようになった人です。彼は宣教の激務と直面する困難から、いつも死を意識していましたが、彼の内側には「新しいいのちが育っている」と証言することができました。
 彼にとって、死は抜け殻を捨て、新しい衣を身にまとう喜びの日だったのです。彼の日々の目標は地上に置かれている限り、イエス様の救いを宣べ伝えることでした。キリスト信仰から溢れ出てくるエネルギーは彼の衰えた肉体を支えて余りあるものでした。

 私もパウロが持ったと同じ希望をいただいていることを感謝します。体は雨風にさらされたテントのように古びていきますが、イエス様は私たちに永遠の住まいをご用意くださいました。その十字架の死をもって、私たちの罪の負債を帳消しにしてくださったのです。

 神はこのようにパウロを通して死を突き抜けた希望を教えてくださっています。そして、一人も滅びることなく、この永遠の住まいに入ることを望んでおられます。これこそ最高のビッグニュース、聞き逃してはならない喜びの知らせです。神が聖書の中にこのような真理を明らかにしていてくださることを感謝します。そして、このすばらしいニュースを知らせることこそ私たち教会の役目です。



無題 | 13:29:14 | トラックバック(0) | コメント(0)
神様の大使として

こういうわけで、私たちはキリストの使節なのです。ちょうど神が私たちを通して懇願しておられるようです。私たちは、キリストに代わって、あなたがたに願います。神の和解を受け入れなさい。
(第二コリント5章20節)

私は一昨晩、学童保育の関係者と甘木市長さんの懇談会に出席しました。地域の中でこどもたちがなんとなく守られていた時代とはちがい、昨今はこどもたちの安全に最新の注意を払わなければなりません。そのような時代の要請に応えて、有志の方々が自ら運営に関り、行政も動かして、今日の学童保育を育て上げてこられたのでしょう。

そうした、さまざまな活動によって健全な社会は保たれています。では、教会はどのような役目を担っているのでしょうか。聖書は教会を「神様の大使館」と表現しています。教会員は神様の大使館員です。
大使は本国を代表して、外国に駐留して活動します。教会はその地域に神様のみことばを伝えます。特に、人々が神様と和解できるように、その方法を説き、キリストの救いへと導くのです。

パウロは、「キリストに代わって」と言っています。天におられる主イエス様の代理としての務めを担っているのが教会です。甘木の皆さんが、「ひとりとして滅びることなく、永遠のいのちを持つ」(ヨハネ3-16)ために、私たちは遣わされた大使なのです。

11月28日に現在地の競売が決定したそうです。神のご計画は着々と、静かに進んでいます。いよいよ教会堂建築も具体的に動き出します。
 神の大使館の建築などには、もっと有力な人たちがふさわしいように思えます。しかし、神は、「知恵ある者をはずかしめるために、この世の愚かな者を選び、強い者をはずかしめるために、この世の弱い者を選ばれた。」(第一コリント1-27)のです。

 教会は「神とともに働く者」(7-1)です。これ以上の光栄があるでしょうか。やがて、「キリストのさばきの座」(5-10)に立つ時、忠なるしもべとして大いなる報いが約束されています。
 小さなロバの子がイエス様をお乗せして歩いたように、私たちも全力でイエス様にお仕えしてまいりましょう。



無題 | 14:57:22 | トラックバック(0) | コメント(0)
ここに神様の愛がある!

神は、実に、そのひとり子をお与えになったほどに、世を愛された。それは御子を信じる者が、ひとりとして滅びることなく、永遠のいのちを持つためである。        (ヨハネ伝3章16節)

 このみことばは聖書のメッセージを凝縮して残る最後の一滴であると言われます。つまり、このみことばを正しく理解できれば、聖書全体が伝えようとしているエッセンスを捕らえたことになるわけです。

 まず、ここにはスケールの大きなラブストーリーが描かれています。誰が誰を愛しているのでしょうか。世界の創造主である神が、ご自身の性質を与えてお造りになった人間を愛しておられます。
 あなたはこのような熱い思いであなたをいつくしんでおられる神のご存在に気づいていますか。太陽、空気、土、海、すばらしい環境を備えてくださった創造主に感謝を捧げていますか。

 人間は創造主を忘れています。いや、故意に無視しています。神のことばなど聞きたくないと耳をふさいでいます。つまり、神の熱い思いに対して、人間の冷たい応答があります。

 このように反逆する人間に対する神の愛はどれほどでしょうか。それはイエス・キリストの十字架に見ることができます。神は私たち罪人が負わなければならない呪いと罰をイエス様の上に下されたのです。これは罪人を赦し、救わんとする神の愛から出た行為です。

 では、私たちはこの神の愛にどう応えたらよいのでしょうか。それは「信じる」ことです。イエス・キリストの十字架を感謝をもって仰ぎ見ることです。このお方を「私の神」として受け入れることです。ここに神との和解の道があります。

 こうしてイエス様を迎えた心に天国は始まります。神の祝福はこれらの人々の上に無限に注がれるのです。あなたはこの重大な神の問いかけに既にお応えになり、キリストに従う道を歩み始めましたか。



無題 | 10:13:13 | トラックバック(0) | コメント(0)
今は恵みの時、今は救いの日です

だれでもキリストのうちにあるなら、その人は新しく造られた者です。古いものは過ぎ去って、見よ、すべてが新しくなりました。   (第二コリント5章17節)

 皆さんは最近、何か「新しい」と言えるような経験をしましたか。新婚生活、新生児を授かるなどは、まさに新しい経験と言えるでしょう。しかし、新型に換えても車は車、テレビはテレビです。

 更に言えば、結婚したから、親になったからといって、性質が一変するわけではありません。しかし、イエス・キリストを信じる時、その人は新しい性質へと生まれ変わります。喜んで神様を礼拝する、本来の人間の性質を表すようになります。

 これは教育や事前行為では得られない、ただイエス・キリストへの信仰がもたらす奇跡的変化です。イエス様はこのような人に起こる変化を、「永遠のいのちを持ち、さばきに会うことがなく、死からいのちに移っているのです。」(ヨハネ伝5-24)と説明してくださいました。

 最近も80歳代のご夫妻がこの経験をされました。長年慣れ親しんだ習慣に別れを告げて、今朝からイエス様の礼拝に集い始めておられます。イエス様と共に、新しい旅立ちです。

 イエス様は、「ひとりの罪人が悔い改めるなら、神の御使いたちに喜びがわき起こるのです。」(ルカ伝15-10)と、神様の最大の関心事が一人の人の魂の救いにあることを説かれました。この老夫妻の魂の生まれ変わりは、どれほど神様をお喜ばせしたことでしょうか。

 宣教者パウロは、「私たちは、キリストに代わって、あなたがたに願います。神の和解を受け入れなさい。」(5-20)とすべての人に決断を迫っています。更に、「確かに、今は恵みの時、今は救いの日です。」(6-2)と今ある救いの機会を逃さぬよう促しています。

 また、大地震によって何万もの人たちがこの世に別れを告げました。予期せぬ突然の出来事です。彼らのうち、どれだけの人が天国への備えを終えていたでしょうか。
 明日、何が起こるかわからないのが現実です。この救いの日に、あなたもイエス様と共に、新しい出発をしませんか。



無題 | 13:38:06 | トラックバック(0) | コメント(0)
たましいの健康回復

神が御子を世に遣わされたのは、世をさばくためではなく、御子によって世が救われるためである。
(ヨハネ伝3章17節)

 よく重い病気をした人から定期検診を受けることを勧められます。病気を早期発見して早期治療を施すためです。しかし、自分の体内の状態がこと細かく明るみにさらされることには恐れを感じます。
 何か食生活を制限されるのではないか、悪い病気が発見されて苦しい治療を宣告されるのではないかといった不安、丈夫な私が病気になるはずがないといった過信、これらがついつい検診を先延ばしにしていきます。

 聖書のみことばを開くにも似たような恐れがあるようです。それはまた、教会の門をくぐる時にも経験する抵抗かもしれません。「悪いことをする者は光を憎み、その行ないが明るみに出されることを恐れて、光のほうに来ない。」と聖書は述べております。

 しかし、あなたの体内に進行している病気に気づくことは健康を取り戻すための第一歩です。それと同様に、今のあなたの生き方を聖書のみことばに照らして見る必要があります。

 確かに私たちは神のみことばをシャットアウトして、思いのままに生きようとする罪人です。しかし、イエス様は私たちを断罪するために来られたのではありません。私たちの罪を負い、信じるすべての人に永遠のいのちを与えるために来られたのです。

 あなたが既にイエス様を信じておられるなら、神の特別な見守りを受けていることを信じましょう。あなたは永遠に神を喜ぶことができます。キリストを信じる者たちを、神は永遠に祝福すると約束しておられるからです。



無題 | 09:42:30 | トラックバック(0) | コメント(0)
神様をお喜ばせする生活

そういうわけで、肉体の中にあろうと、肉体を離れていようと、私たちの念願とするところは、主に喜ばれることです。
                (第二コリント5章9節)

 私たちには、自分の好きな人を喜ばせたいという思いがあります。運動会でこどもたちが一生懸命走るのは、自分に注目して、声援してくれる人たちを喜ばせたいからでしょう。また、お母さんが料理に励めるのも、喜んで食べてくれる家族がいるからにちがいありません。
 若者に好きな人ができれば、どうしてその人を喜ばせようかと工夫するでしょう。何事でも、人を愛し、人を喜ばせるためにできたなら、その人は満ち足りることができます。 

 しかし、現実には人を困らせて喜んだり、人を不幸にするためにエネルギーを使ったりする人がいます。罪に支配されて、動機がゆがんでしまった結果です。聖書はむしろ、すべての人は罪に汚染されて、美しい動機を失っていると教えています。 

 神様を忘れる時、人は生きる目的を見失います。神様を心から締め出すとき、人は神の祝福から追い出されます。そして、糸の切れた風船のように、虚しさを抱えてさまようことになります。
 そんな惨めな私たちを救うためにイエス様はこの世に来てくださったのです。そして、いのちを与えて、私たちに救いの道を備えてくださいました。聖書は、「だれでもキリストのうちにあるなら、その人は新しく造られた者です。古いものは過ぎ去って、見よ、すべてが新しくなりました。」(5-17)と救いの喜びを宣言しています。
 
 救いをいただいたクリスチャンは、主イエス様をお喜ばせしたくなります。その心から、イエス様を讃える歌があふれてきます。イエス様のみことばを聴きたくなるし、何か奉仕したくなります。
 この世の旅路を終えると、クリスチャンたちは愛するイエス様のみもとへ召されて行きます。そのとき、この世で主にどう仕えたかに応じて、ごほうびがあると聖書は伝えています。
 私たちはすばらしい生きがいをいただいています。失われた魂をイエス様の救いへ導くことは、最も神様をお喜ばせすることです。教会は皆で祈りを合わせて、この崇高な目的に励んでまいりましょう。



無題 | 19:53:28 | トラックバック(0) | コメント(0)
新しく生まれ変わる

イエスは答えて言われた。「まことに、まことに、あなたに告げます。人は、新しく生まれなければ、神の国を見ることはできません。」
(ヨハネ伝3章3節)

 多くの人たちが一生に一度や二度は、もう一度生まれ変わって人生をやり直せたらと思うのではないでしょうか。特に、人は親を選んで生まれるわけにいきませんから、今度はあんな家庭に生まれたいと望むことがあります。しかし、現実には誕生時の環境は与えられるものであって、自分で選べるものではありません。

 こうして人は与えられた環境から出発して、理想とする環境を造り上げようと努力します。厳しい鍛錬に耐えて強健な体を欲したり、感性を磨いて豊かな芸術性を得ようとしたり、ボランティア活動を通して心あたたまる人とのつながりを築こうとしたりです。こうした行動の背後には、生まれた環境に備わっていなかったものを、後の努力で勝ち取ろうとする願望が潜んでいるような気がします。

 これに対し、イエス様は「神の国」に生まれる秘訣を明かしてくださいました。それは人間の努力によって環境を変革して達するユートピアではなく、神の恵みによる「新しい生まれ変わり」です。あなたも新しく生まれ変われるし、誰もが新しく生まれなければならないと聖書は告げています。

 では、新しく生まれるために、人は何をすればよいのでしょうか。それは全人類の罪のために十字架におかかりくださり、三日目によみがえられたイエス・キリストを仰ぎ見ることです。このイエス様を救い主として心に迎える時、人は神のきよいいのちを授かって新しく生まれるのです。

 今の時代に、いやいつの時代でも最も必要なのは教育改革やIT革命ではありません。イエス・キリストを信じて神からいただく「魂の生まれ変わり」です。あなたの魂はまだ滅びの中にありますか。それとも、イエス・キリストを信じて永遠のいのちに移されましたか。



無題 | 14:46:54 | トラックバック(0) | コメント(0)
天にある永遠の家

私たちの住まいである地上の幕屋がこわれても、神の下さる建物があることを、私たちは知っています。それは、人の手によらない、天にある永遠の家です。        (第二コリント5章1節)

 誰もが、いつかは現実に直面するのが死です。この死は、心臓の停止、あるいは脳波の停止と定義することができるでしょう。しかし、肉体の死はすべての終わりなのでしょうか。
 
 動物は自分の死について考えることはありませんが、人は死についてさまざまな見地から考察し続けてきています。現代医療のあらゆる手段を駆使して、一秒でも長く生きようとする人もあれば、安易に、恐れもなく自ら死を決行する人もあります。
 
  死について正しい認識を持つことは、今を有意義に過ごすための基盤です。聖書は私たちの肉体を「土の器」、「外なる人」、更に「テント」などと言い表しています。放牧民がテントをたたんで、次の場所へ移動するように、人は死によって、次の状態へとうつります。
 
 イエス様を信じて永遠のいのちの保障をいただいている人たちは、肉体を離れると同時に主のもとへ召されて行きます。そして、やがて栄光のからだを授かるのです。死は滅びではなく、天国への凱旋です。
 この確かな希望を持つクリスチャンは、この世での今を、どう生きるでしょうか。私たちは今を、将来の永遠の時に備えるために用います。主がみもとに召されるまで、イエス様の教えを実践して生きるのです。
 
  神より授かったからだを大切にしたり、能力を開発するために学ぶことは、神のみこころです。聖書は怠惰を厳しく戒めているからです。しかし、永遠の将来への備えを怠る者を、取り返しのつかない愚か者としていることを忘れてはなりません。
 
聖書は、「御子を信じる者は永遠のいのちを持つが、御子に聞き従わない者は、いのちを見ることがなく、神の怒りがその上にとどまる。」(ヨハネ伝3-36)と二つの道を明らかにしています。すべての人は、この世にいる間に、いずれかの道を選びます。あなたはイエス様を救い主と信じて、「天にある永遠の家」の予約を済ませましたか。



無題 | 18:56:52 | トラックバック(0) | コメント(0)