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甘木BBC

Author:甘木BBC
福岡県朝倉市にある、聖書を神のことばとしてお伝えしているキリスト教会です。
http://amagibbc.com/

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「いのち、祝福」を選び取ろう!
 私は、いのちと死、祝福とのろいを、あなたの前に置く。あなたはいのちを選びなさい。(申命記30-19)

 大学生の長男が帰省し、どんな将来を思い描いているか訊いてみました。挑戦的な意気込みで学んでいるようなので、祈りで支え、見守っていこうと思わされました。聖書に、「若い男は幻を見る。」(ヨエル2-28)とありますが、自分の未知の可能性に賭けているようです。箴言に、「心を尽くして主に拠り頼め。」(3-5)とあるように、教会で聴き育った主イエス様に祈りつつ、与えられている幻を実現していってほしいと願います。引き続き、応援の祈りをお願いします。

 人生にはこうした道の選択を迫られる場面があります。そうしたとき、必要な能力が「識別力」(ピリピ1-9)、物事を見極め、最善の道を選び取る能力です。福岡へ行くには福岡方面行きの道を熊本へ行くには熊本方面の道を選ばなければならないように、私たちは「いのちに至る門」(マタイ7-14)であるイエス様を信じ、その御教えに導かれて進まなければ、祝福の人生を歩むことはできません。

 そのためには、「滅びに至る門」(7-13)の誘惑の招きを断固として拒む必要があります。私たちが「信仰の創始者であり、完成者であるイエスから目を離さないで」(ヘブル12-2)いれば、誘惑を見聞きすることは少ないのですが、礼拝をおろそかにし、みことばを求める生活を止めてしまうならば、滅びに至る道の門口に立つことになります。

 神は人を創造されたとき、自由な意思を授けられました。その自由を神をお喜ばせすることにも、悲しませることにも使えます。最初の人アダムとエヴァはその自由を誤用して罪を侵し、神の祝福を失い、エデンの園から追放されました。私たちは進んで、私たちの自由を「神をお喜ばせする」ことに用い、祝福を相続する者としていただきましょう。

 八十路を過ぎた大楠兄姉がみゅうじっくベルに挑戦し、美しい調べを奏でてくれています。障害と闘いつつ、礼拝に集っておられる兄姉にも励まされます。いずれも「いのち」を選び取る生き方です。この夏も、皆そろって主イエス様の証し人としての歩みを続けてまいりましょう。


無題 | 02:30:05 | トラックバック(0) | コメント(0)
水害は何を警告しているか?
 わたしは門です。だれでも、わたしを通ってはいるなら、救われます。また安らかに出入りし、牧草を見つけます。
(ヨハネ伝10章9節)

 朝倉の豪雨災害から二年、今年もまた南九州に雨が降り続き、災害となりました。被災された皆さんに心よりお見舞い申し上げます。これからも大雨、台風、地震など、災害が起こり得ますので、主イエス様のあわれみと守りを祈り続けましょう。
 こうした水害を経験する度に思い起こされるのがノアの時代に起こった大洪水です。聖書はその時代を、「地上に人の悪が増大し」(創世6-5)と表現しています。人々の考えが「みな、いつも悪いことだけに傾」いていたというのです。それは神が人を創造された目的に大きく反れた状態でした。

 そして、遂には神に「わたしが創造した人を地の面から消し去ろう。」(7)と決心させるまでに悪化していきました。「神のかたちに」(1-27)に創造され、「「生めよ。ふえよ。地を満たせ。」(28)と祝福されたアダムとエヴァでしたが、その子孫たちは「人を造ったことを悔やみ、心を痛められた」(6)とあるほどに、神を悲しませる者へと堕落していったのです。
 やがて、その悪の時代は洪水によって滅ぼされ、「全き人」であり、「神とともに歩んだ」(9)ノアと彼の家族だけが箱舟に入り、難を逃れて、罪の一掃された新天新地を受け継ぐ者となりました。彼らは神の警告を信じ、周囲の人々のあざけりにもかかわらず、神に従う義人たちでした。

 イエス様は、世の終わりについて、「人の子が来るのは、ちょうど、ノアの日のようだからです。」(マタイ24-37)と語られました。確かに今の時代、人々は神の教えを脇に追いやり、人間の欲望の追求に走っています。このような豪雨を神の警告と受け止め、私たちはノアの家族がしたように、「いのちに至る門」(マタイ7-14)である救い主イエス様を信じて救われるよう、周囲の人たちに証しを続けてまいりましょう。


無題 | 21:04:20 | トラックバック(0) | コメント(0)
イエス様を愛する!
 幸いなことよ。そのそむきを赦され、罪をおおわれた人は。幸いなことよ。主が、咎をお認めにならない人、心に欺きのないその人は。(詩篇32篇1、2節)

 先日、二つの講習会があったので出席しました。一つは非行少年の更正にたずさわっておられる「少年サポートセンター」の指導員の講演でした。子どもたちが健全に育っていくために、家庭、地域、学校などが良き働きをしていますが、それでも悪の道へ迷い込む子どもたちがいます。そういう子たちの補導、更正のために働いておられる方の話には説得力がありました。教会も罪人の救いのために来られたイエス様を紹介し続けなければなりません。

 もう一つは障害者のための防災の講習会でした。豪雨、台風シーズンに入る前に、いかに身を守り、減災するか、皆さん心構えになったのではないでしょうか。聖書に出てくる避難の例としてはソドムに下ったイオウの火から逃れたロトの家族が上げられます。そのとき御使いが告げた、「「いのちがけで逃げなさい。うしろを振り返ってはいけない。」(創世19-17)は今日の災害においても覚えておくべき警告です。これから幾度か避難情報が流れるようなことがあるでしょうが、まずは、生命を守る行動を第一としましょう。

 先週、私たちはイエス様の「罪の赦し」のメッセージを聴きました。パリサイ人のシモンはイエス様を食事に招待しましたが、その動機はイエス様を試そうとするようなものでした。一方、「罪深い女」(ルカ7-37)と名指しされていた女性はイエス様に出会い、罪を悔い改めた人でした。女性は人々の蔑みの目も気にせず、イエス様の御足に口づけし、持って来た高価な香油を塗りました。女性の行動はイエス様への深い愛と感謝に動機づけられていました。
 その女性に対しイエス様は、「「あなたの信仰が、あなたを救ったのです。」(50)と告げられました。このことはイエス様が罪の赦しを宣言できる神であることを示し、その赦しが罪の悔い改めと救い主への信仰に基づくものであることを明らかにしています。また、女性に、「安心して行きなさい。」とも告げられたのですが、女性はどこへ行ったらいいのでしょうか。

 このように罪を悔い改め、イエス様を信じた人を受け入れ、信仰者として育てていくのが教会です。聖書の教えに基づいて、その人を導き、イエス様に奉仕する者として育てていくのです。私たちの教会もイエス様から、「安心して甘木教会へ行きなさい。」と推薦していただけるよう努めてまいりましょう。


無題 | 08:22:56 | トラックバック(0) | コメント(0)
「神がともにいてくださる」幸い!
 教会はキリストのからだであり、いっさいのものをいっさいのものによって満たす方の満ちておられるところです。
(エペソ書1章23節)

 先礼拝では「父の日」を記念し牧師の短歌を添えたお花が壮年の皆さんにプレゼントされました。いつまでも健康で、教会の「お父さん」として良き模範を示してまいりましょう。主イエス様は、「天にいます私たちの父よ。」(マタイ6-9)と祈るように教えられました。つまり、父の日は「神に近づき、礼拝する日」なのですから、多くの世のお父さんたちが、「天地の主であられる父」(マタイ11-25)を知ることができるよう祈りましょう。

 国際情勢としてはホルムズ海峡で日本のタンカーが襲撃されたということで、アメリカとイランの対立が深まっています。エネルギーの8割をこの地域からの原油に依存している日本にとって、由々しき事態です。「キリストこそ私たちの平和であり、二つのものを一つにし、隔ての壁を打ちこわし、」(エペソ2-14)とあるように、紛争が抑止され、平和が保たれていくよう祈りましょう。

 凶暴な犯罪も多く、心傷みますが、そんな中で地震警報が鳴り出し、「津波が到達します」の放送が流れ、被災地の守りを祈らされました。幸い、津波の被害はなかったようですが、地滑り、液状化、断水など、被害が報じられています。余震も続いていますから、更なる守りを祈りましょう。

 また、身近なところでは先日、「カードが不正使用されているから、手続きをするように」といった内容のメールがありました。これは詐欺だと思い、削除しましたが、だまし事も増えています。そんな中で読んだ、「見よ。兄弟たちが一つになって共に住むことは、なんというしあわせ、なんという楽しさであろう。」(詩篇133-1)という御言葉は教会の礼拝の麗しさを教えています。兄弟姉妹が集まって救い主を讃美し、「天の父」に祈りを捧げ、ともに神のメッセージに耳を傾けることに勝る幸いはありません。

 ダビデはその祝福の理由を、「主がそこにとこしえのいのちの祝福を命じられたから」(3)とかたっています。私たちは、「神は私たちとともにおられる」(マタイ1-23)から「幸せです。」と告白しましょう。イエス様に従う者たちに主は、「見よ。わたしは、世の終わりまで、いつも、あなたがたとともにいます。」と約束していてくださるのですから。


無題 | 21:44:06 | トラックバック(0) | コメント(0)
災害の中の恵み!
 まことに、あなたがたに告げます。もし、からし種ほどの信仰があったら、この山に、『ここからあそこに移れ。』と言えば移るのです。どんなことでも、あなたがたにできないことはありません。

 先週、林田仮設住宅の閉鎖を前に「お別れ会」が開かれ、出席させていただきました。元九キ災メンバーであったT御夫妻もゴスペル歌手の竹下静姉とともに来ておられました。午前に感謝状の贈呈式もあったそうで、「復興支援コンサート」、「歌の交流会」で奉仕させていただいた「ヘブンリー・どろっぷす」の名前も呼ばれたそうです。後から自治会長さんから、感謝の品を添えて、賞状をいただきました。

 二年前の7月5日の豪雨災害の直後、知人の安否を問うたところから始まった杷木との繋がり、益城の震災支援に入っておられた九州キリスト災害支援センターが杷木にも支援に駆けつけてくださり、長い泥かき作業、そして、仮設集会所での「復興支援コンサート」へと発展していきました。九キ災は常に地元の教会である私たちを立ててくださり、退却後も、私たちは「歌の交流会」を続けることができました。

 被災地の皆さんにとって、苦闘の二年間でしたが、多くの人々の祈りと善意の結集した、恵み豊かな時でもありました。とは言え、仮設閉鎖後の行き先の定まっていない住民の方々もおられますし、梅雨末期の大雨への心配もあります。イエス様は、「からし種ほどの信仰があったら」と語られました。これからも杷木をお訪ねし、皆さんに「天地を造られた主」(詩篇121-2)を証させていただきたいと願っています。

 太鼓の演奏や神楽の舞いもあって、「お別れ会」の最後は竹下姉のコンサートでした。地元の皆さんは九キ災の真実な奉仕を良く覚えていますので、ゴスペルに敬意を払って聴いておられました。T御夫妻も北海道から駆けつけた甲斐があったことでしょう。

 竹下姉のコンサートは「アメージンググレース」で始まり、「アメージンググレース」のアンコールで終わりました。大災害を通して為された神の「驚くばかりの恵み」を誉め讃えずにおられません。これからも主が小さき教会を、どのようにお用いくださるか、期待して歩んでまいりましょう。


無題 | 21:16:28 | トラックバック(0) | コメント(0)
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