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甘木BBC

Author:甘木BBC
福岡県朝倉市にある、聖書を神のことばとしてお伝えしているキリスト教会です。
http://amagibbc.com/

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神の働きを視る!


見よ。わたしは、戸の外に立ってたたく。だれでも、わたしの声を聞いて戸をあけるなら、わたしは、彼のところにはいって、彼とともに食事をし、彼もわたしとともに食事をする。(黙示録3章20節)
 先の「あさくら春の文化祭」でのオカリナとミュージックベルの演奏は「心が洗われた」とか、「涙が出た」とか、いくつかの好評を耳にすることができました。長引くコロナ禍で不安な日々の続く中、あのような文化行事を開催してくださった連合 文化会のご労苦を感謝します。お誘いした方々も何人か聴きにきてくださり、久しぶりの懇親のときともなりました。ますます練習を重ね、主を讃えるとともに、地域文化の向上に貢献してまいりましょう。
 ここまで書いたところで「百万人の福音」の贈呈が届き、私の短歌「大雪にステイホームの礼拝す 妻と交互の祈りの止まず」が特選として掲載されていました。1月10日は全国的に豪雪となり、ここ甘木でも雪が積もり危険でしたので、めいめい家庭礼拝をお捧げすることとなったのですが、そのときの二人っきりの礼拝の様子を描いたものです。すっかり忘れていましたが、「そういうこともあったなあ」と思い起こしました。
 また、その晩にはAにお住いのH兄という視覚障がいをお持ちのクリスチャンの方との出会いもありました。いくつかの事情があって、今教会へ来ることはできませんが、メールでの交わりが与えられ、文化祭でのオカリナとベルの演奏も送らせていただきました。兄の上に引き続き、主の見守りと導きを祈らせていただきましょう。
 イエス様のみもとには、大勢の「足のなえた者、手足の不自由な者、盲人、口のきけない者、」(マタイ15-30)たちが連れて来られたと記されています。また、イエス様は、「医者を必要とするのは丈夫な者ではなく、病人です。」(ルカ5-31)とも語られ、常に何かの弱さを持つ者たちの傍近くいいてくださいました。「いなくなった一匹」(ルカ15-4)の羊のような、迷える人たちを探し求めることこそ、教会に課せられた働きです。
 聖書は、「主を恐れて、悪から離れよ。」(箴言3-7)と教えています。蔓延し続けている新型コロナウィルスから遠ざかり、たましいをきよめていただくために、日々聖書を読み、祈りを通しての神との交わりを大切にしましょう。「イエスから目を離さないで」(へブル12-2)との勧めを励ましとして。


未分類 | 11:13:58
真の神をほめたたえる人は生きる!

タンバリンと踊りをもって、神をほめたたえよ。緒琴と笛とで、神をほめたたえよ。(詩篇150篇4節)
  先のイースター礼拝には、かつて教会生活を共にした愛兄たちのご遺族も集われ、主イエス様のご復活と信仰者の希望についてのメッセージを聴かれました。召天者たちはイエス様が、「あなたがたに場所を備えたら、また来て、あなたがたをわたしのもとに迎えます。」(ヨハネ14-3)と約束された天の御国へ移されており、「聖所で昼も夜も、神に仕えている」(黙示録7-15)とあります。その後、教会墓地へも行きましたが、雨上がりに聞こえてくるウグイスの声が、あたかも天国からの使者の讃美のように聞こえてきました。
さて、今日は教会のジョイフルクワイヤが「あさくら春の文化祭」に出演し、ベルとオカリナの演奏をさせていただきます。「神は、みこころのままに、あなたがたのうちに働いて志を立てさせ、」(ピリピ2-13)とありますが、ベルを始めたのは2年半まえ、オカリナはまだ一年にもならないのですが、舞台に立っての発表の機会が供えられました。「しっかりしなさい。わたしだ。恐れることはない。」(マタイ14-27)と語りかけていてくださる主イエス様に支えられて、あのウグイスにも負けない褒め歌を響かせましょう。
 学校の音楽の時間に「バッハは音楽の父」と習います。どの時代にも、そして今日の生活にも音楽は絶えることなく、人々の生活に溶け込んでいますが、「音楽の父」と言えばバッハであり、そのバッハは教会の音楽師であり、イエス様の礼拝のための音楽を作曲し、演奏していたのです。そのバッハの系譜を引き継いで、賛美歌を演奏させていただくことは、なんと光栄なことでしょうか。
 先日もある方が亡きお母様の愛唱歌「真白き富士の峯」が、もともとは賛美歌であることを教えてくれました。ボート部の生徒たちが海難事故で水死したとき、一つの讃美かに鎮魂の詩をつけて歌うようになり、それが広く知られる歌曲として残ったとのことです。私たちには、その元歌を歌い、演奏し次いでゆく責任と特権があります。
 イースターのオカリナ讃美をフェースブックにアップしたところ、バングラディッシュで宣教しておられるM先生から「いつも家族のために祈っています」とのメッセージがあり、アメリカへ帰られたB先生も「いいね」してくれていました。世界中へイエス様への讃美の輪を拡げましょう。
 

未分類 | 20:49:24
死に勝利し、復活の希望に生きる!


キリストはいつも生きていて、彼らのために、とりなしをしておられるからです。(へブル書7章25節)
 皆さん、今日は主イエス様が死を打ち破って復活された朝を記念して、イースター(復活祭)の礼拝をお捧げします。二千年前、主が捕らえられ、十字架に架けられたとき、弟子たちの望みは潰えたかに見えましたが、彼らは、「あなたがたは、なぜ生きている方を死人の中で捜すのですか。ここにはおられません。よみがえられたのです。「(ルカ24-5 6)という驚くべき知らせを聞きました。そして、主は閉じこもっていた弟子たちの只中に立たれ、「平安があなたがたにあるように。」(ヨハネ20-19)と彼らを祝福されました。その主イエス様は今日も教会の頭として、私たち信じる者たちと共にいてくださるのです。
 教会の迫害者であったパウロは復活されたイエス様にお会いし、キリストの宣教者へと生まれ変わった人です。そのパウロは、「今やキリストは、眠った者の初穂として死者の中からよみがえられました。(Ⅰコリント15-20)と宣言し、「キリストがよみがえらなかったのなら、あなたがたの信仰はむなしく、」(17)とまで述べています。かくして、主イエス様の死を打ち破っての復活はキリスト信仰の大黒柱なのです。
 とは言え、死者の復活を信じる人は科学の進んだ今の時代だけでなく、二千年前のイエス様の時代にもいませんでした。そうであるにもかかわらず、彼らが、「神はこのイエスをよみがえらせました。私たちはみな、そのことの証人です。」(使徒2-32)と主の復活を証し続けたのは、まさに、それが事実だったからです。そして、イエス様が語られた、「わたしは、よみがえりです。いのちです。」(ヨハネ11-25)は、教会の墓碑にも刻まれている、世界中のキリスト者の希望のみことばです。
 このイースター礼拝においては、既に世の歩みを終え、主のみもとへ召された兄姉を思い起し、後には墓前にも出向きます。それらの兄姉たちは、主が「あなたがたをわたしのもとに迎えます。」(ヨハネ14-3)と約束された天の御国で、私たちと同じように救い主を礼拝しておられます。そして、イエス様を救い主として信じ、罪の許しをいただいた私たちは、やがてまた再会する希望の約束もいただいているのです。
 マスク掛けの日々ですから、例年歌い続けてきたイースターのコーラスを歌えませんが、ベルやオカリナで主の御復活を讃えましょう。コロナ禍の中、集い合って復活祭の礼拝をお捧げできず、画面を見ながら主を讃える愛兄姉たちもおられるにちがいありません。それらすべてのキリスト者たちにとって喜びと希望のイースターでありますように。
 

未分類 | 16:22:55
十字架の愛によって救われ!

彼は、私たちのそむきの罪のために刺し通され、私たちの咎のために砕かれた。彼への懲らしめが私たちに平安をもたらし、彼の打ち傷によって、私たちはいやされた。(イザヤ書53章5節)

 去る20日にB先生の壮行会が行われ、教会からは4名、全体としては53名が集い、各教会が先生との思い出を語り、感謝をお伝えすることができました。がんとの闘い、L先生の召天、足の病など、幾多の試練を経ながら、いつも明るく、教会を愛し、福音のメッセージを語り続けてくださった先生、ありがとうございました。これで先生のお働きが終わってしまうのでなく、アメリカにおいてもまだまだ主が先生をお用いくださることと信じます。いつでもメールやフェースブックで繋がっていますから、教会の様子をお伝えできますし、祈り続けてくださるにちがいありません。
 さて、教会は今日、エルサレムの民衆が棕櫚の枝を手に、ロバの子にお乗りになったイエス様を「ダビデの子にホサナ。祝福あれ。主の御名によって来られる方に。ホサナ。」(マタイ21-9)と叫びながら迎えた「棕櫚の日曜日」(Palm Sunday)を記念する礼拝をお捧げします。そして、来週のイースター(復活祭)までの一週間を、イエス様が裏切られ、不当な裁判を受け、十字架に架けられた「受難週」(Passion Week)と呼び、私たちの罪を身代わりに負ってくださった主の受難を思いつつ過ごします。
 私たちはかつて天地の創造者であり、人をもお造りくださった真の神を知らず、善悪の基準も持たず、さまよっていた者でしたが、救い主イエス様の十字架の救いのみわざを信じ、神をほめたたえる幸いな人生を歩む者へと変えられました。イエス様は私たちを不幸な罪の奴隷状態から解放してくださるために、どれほど熱い祈りを捧げ、不当な裁判を受け、あざけられ、十字架刑を耐えてくださったことでしょう。イエス様が十字架の上で発せられた、「「わが神、わが神。どうしてわたしをお見捨てになったのですか。」(マタイ27-46)という叫びを、どう理解したらよいのでしょうか。
 去る木曜にL兄の大学の卒業式がインターネット配信されたので列席させていただきました。親として、「子の教育期間を支えることができた」という感謝がこみ上げてきました。同時に、「キリストの打ち傷のゆえに、あなたがたは、いやされたのです。」(Ⅰペテロ2-24)というみことばを思い起し、イエス様が私たちの罪を負ってくださったからこそ、あのような晴れがましい祝福にも与れるのだと思わされ、主の守りを感謝しました。
 コロナウィルスとの闘いだけでも疲弊しているのに、人同士の争いが事態をなお悲惨なものへと追いつめているように感じる世界の状況です。二千年前、十字架に向かわれる前、振り向いてペテロを見つめられたイエス様の眼差しを感じつつ、この受難週を過ごさせていただきましょう。きっと、神の愛の深さを知り、感謝があふれるのではないでしょうか。
 

未分類 | 16:45:37
卒業は新たな出発!


私が植えて、アポロが水を注ぎました。しかし、成長させたのは神です。それで、たいせつなのは、植える者でも水を注ぐ者でもありません。成長させてくださる神なのです。(第一コリント3章6、7節)
 先礼拝の後、久しぶりに市内の視覚障がい者の皆さんの集まりがあったので、オカリナの音楽プレゼントもしようと参加しました。春のメロディーに合わせて、皆さん歌ってくれましたし、聖歌も喜んで聴いてくれました。夜には九州のキリスト信徒会のリモート役員会があり、参加しました。まず驚いたのは、視覚障がいのある皆さんが、音声パソコンを使ってその会議に参加しておられたことです。コロナ禍で集い合えない状況の中にあっても、通信を使って、居ながらに新年度の計画を立てることができたなんて、「たたきなさい。そうすれば開かれます。」(マタイ7-7)のみことばの実証を見る思いでした。
 イエス様が、「これらのわたしの兄弟たち、しかも最も小さい者たちのひとりにしたのは、わたしにしたのです。」(マタイ25-39)と語られましたが、私たちの周囲には助けを必要としている多くの人たちがいます。その人たちの救いのために祈り、その人たちにも、イエス様の愛の御手を伸べていただくため、私たちを用いていただきましょう。
 さて、4年前に筑波へ送り出したL兄が木曜に卒業式に臨みます。一度も学舎を訪れてやることはできませんでしたが、主が祈りに応え、野球、就活、コロナ禍の試練を通して、たくましく育ててくださいました。入学式同様、卒業式もネット中継されるそうですから、居ながらに巣立ちの式典に列席させていただこうと思います。祈りの応援をくださった教会の兄姉の皆さん、ありがとうございました。
 「卒業式」の英語は(commencement)ですが、その本来の意味は「開始」です。つまり、卒業は「新たなる出発」です。「キリストが私たちのために死んでくださった」(ローマ5-8)のは罪の清算のためであり、その身代わりの死により私たちの罪の代価が支払われ、私たちは信仰により、神をほめたたえて生きる者へと変えられましたイエス様を信じる者に「新しいいのちの出発」が可能とされたのです。
 今日から首都圏の非常事態も解除されるそうですが、コロナ感染が再燃する恐れもあります。実に不安な時代です。そんな怯えの中にある私たちの傍らに主イエス様は立ち、「「しっかりしなさい。わたしだ。恐れることはない。」(マタイ14-27)と声をかけていてくださいます。この救い主を、行悩む多くの人たちにお伝えしてまいりましょう。
 

未分類 | 16:31:10
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